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ベーゼンドルファーを調律・修理をして30余年。
確かな技術で甦らせてきたピアノたち。
ヴィンテージ・ベーゼンドルファー専門店。

今から190余年前、ウィーンにてベーゼンドルファーは誕生します。そこから脈々と受け継がれてきた伝統の音色。Gala工房主宰であり技術者 福田泰博はベーゼンドルファーの1台1台のオリジナルの個性を生かしながら、年月を重ねたピアノだけが奏でられる音色に彩をよみがえらせています。詳しくは「ピアノメンテナンス」のページへ 

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​ドイツよりヴィンテージのベーゼンドルファーを直輸入

ヨーロッパの乾燥した地域で誕生したピアノにとって、湿気の多い日本は本来の力が発揮しにくい環境です。そこで、お客様にはヨーロッパで経年したヴィンテージピアノをお届けしたく、すべてドイツ周辺から見つけ出したピアノを輸入しております。

元ベーゼンドルファー日本代理店に所属していた福田夫妻が、まるでワインの年代のごとく熟成したピアノを吟味し仕入れています。

Gala工房には、現在Model170、200、225のサイズ違いのベーゼンドルファーを展示し、常に試弾、弾き比べのできる状態にしてあります。

また、楽器は、年月の人々の好む音に進化しつづけています。その中でその年代の音色の特徴を知り尽くし、お客様のお好みの音色とマッチングすることもしております。じっくりと自分と相性があうピアノとの出会いにお時間をかけながら探すことも時にはございます。

ピアノとの出会い。それは一生をともにする友との出会い。​そんな出会いをお手伝いさせていただきます。

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Marble Surface

​■30年来のお客様からメッセージをいただきました。

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スタジオミュージシャン・音楽プロデューサー
倉田信雄さん

(さだまさしコンサートツアー2021  アクトシティ浜松にて)

世の中にBösendorfer好きは、きっとそこそこおられることだろう。そして、その大多数の方々は、まぁまぁ好き、というような中途半端なことではなく、実はひどくお好きなのではあるまいか。Bösendorferとは、そういう類のピアノだと認識している僕もまた、その末席を汚している一人なのだが…

今から30年近く前、平成5年 (1993) 東京にConsipioという録音スタジオが出来る、という際に、ピアノ選定をお手伝いすることになり、静岡県の磐田にヨーロッパ直輸入の質の良い中古ピアノがあるそうだから一緒に見に行きませんか、とお誘いいただいたことが、僕がBösendorfer好きとなる、そもそものきっかけとなった。

 

当時の僕は、スタジオミュージシャンとして既に15年ほどのキャリアを重ねており、都内のスタジオのピアノは片っ端から弾いていたけれども、Bösendorferに関しては、状態の良い楽器が全くなかったために、さほど良いイメージを持っていたわけではなかった。

第一、それ以前のスタジオの空調設備は今ほどきめ細やかな調節が全く出来なかったから、20〜30年も楽器が良い状態でいられるということ自体が、メーカーを問わず難しく、お話をいただいても、俄かには信じ難い、というのが正直な気持ちだったのだ。

 

そんな半信半疑で伺った先が、当時Bösendorferの日本代理店であった (株) 浜松ピアノセンターで、工房に案内された時に出迎えて下さったのが、技術関係の責任者福田泰博さん、案内して下さったのが、たしか社長付としてお勤めで、実際にヨーロッパからの買い付けなど担当されていた奥様の多恵子さんだった。以来、ご夫妻とはざっと30年のお付き合いになる。

 

工房には、SteinwayのフルコンであるD-274と、Bösendorferの、今はなくなってしまったモデルだが270だったか275だったか、低弦が4鍵拡張されたモデルと、2台をご用意いただいていた。正確な記憶ではないが、どちらも30年ほど前の製造だとご紹介いただいたように思う。それまで、単一のメーカーの弾き比べで選定する、という経験はあっても、このように異なるメーカーのピアノを弾き比べるのは初めてのことで、ましてやBösendorferを試すのも初めてのことだったから、大いに迷わされた。理由は簡単、どちらのピアノも想像を遥かに上回る素晴らしさだったからだ。この時、ピアノは30年も良い状態ではいられない、という僕の先入観は跡形もなく吹き飛ばされてしまった。

 

迷いに迷った挙句、良い状態のBösendorferを常備しているスタジオが

これまで皆無だったのだから、そのこと自体が新しいスタジオのひとつの

売りになるだろう、と考え、同行していた録音エンジニアでConsipioの

スタジオプランナーでもあった田中信一さんに了解を求めて、Bösendorfer

のほうを選ぶことにした。(だが、Steinwayにも未練は残り、後日、

やはり新設されるJulyというスタジオにご紹介して、こちらも実際に納品

されたのだった。)

下の写真は、施工を担当した日本音響エンジニアリング (株) のHPに残って

いたものを引用させていただいた。ピアノブースに収まった姿の美しかった

こと…

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おかげさまで、自分で録音スタジオを選べるような仕事の際には、ずいぶんConsipioを使わせていただき、Bösendorferがすっかり好きになった。特に低音の響きには、他メーカーのピアノにはない独特のビロードのような感触があり、それがたまらなかった。僕は一時ツアー仕事からは全く遠ざかっていたのだが、その後、また全国のホールを回るようになってから、意外な場所で状態の良い290インペリアルに出会うような経験もしたため、ホールの備品としてあるようならばBösendorferを出して下さい、とリクエストするまでになっていた。

 

さらには、平成17年 (2005) にヨーロッパ旅行に出かけた折には、多恵子さんにお願いして、

オーストリアのWiener Neustadtにある、Bösendorferの工場見学をセッティングしていただいた。ピアノ製造の1から10までを見学するのは、その時が生まれて初めてだったけれども、実際に解説を通訳していただきながら拝見して、個人的に最も印象に残っているのは、機械に挿し込まれた低弦の芯が回転しているところに捲線を捲いてゆく工程で、鹿皮(だろうか)の特殊な手袋を

装着した職人さんが、捲かれてゆく捲線のほうを人差し指

にひっかけながら、その微妙な張り具合をまさに手加減されて

いた場面で、こんなところにまで人の手が加わっていたのか、

と不覚にも涙がこぼれそうになった。

下の写真は、見学を終えてから、同行した妻でピアノ弾きの、

そして同じくBösendsorfer好きの紺野紗衣と一緒に撮って

いただいたものだ。

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少し話を戻すが、そもそもピアノという楽器は、ヨーロッパ生まれなのであって、彼の地の気候風土に合っているものなのだから、日本で20〜30年使われるのと最初から条件が違うのは、考えてみれば至極当たり前の話なのであった。だから、ヨーロッパで状態の良い中古品を厳選して輸入し、こちらで手を施して販売する、という方法は、売り手買い手どちらにとっても大変リーズナブルだと言えるだろう。

(株) 浜松ピアノセンターは、僕が初めて伺った当時の吉澤社長(偉大なるアンティークピアノコレクターでもいらした…)が亡くなられてからしばらく後に倒産してしまったのだが、福田ご夫妻は、お嬢様の高橋恭子さんと共にGala工房を立ち上げられて、このヨーロッパルートを守り続けてこられた。これは、我が国の、殊にBösendorfer好きにとっては、なんと心強いことだったろうか。

 

さて、ここまで25年間、僕はおかげさまで、さだまさしのツアーサポートで各地にお邪魔する機会をいただいてきた。さだのコンサートが静岡県内で開催される折には、極力Bösendorferを出していただき、必ず福田さんに調律をお願いすることにしている。聞くところによると、昨今のコロナ禍の影響もあって、年に一度、僕しかBösendorferを弾いていない、というホールもあるようだが、せめて自分が弾くことで、多少なりとも楽器のコンディション維持にお役に立てれば、と思っている次第だ。

 

また、平成30年 (2018) 1月には、さだからのご縁のつながりで、

その前年に千年の時を経て再建なった薬師寺の食堂(じきどう)

でソロコンサートを開催する機会を頂戴し、その折にはGala工房

さんの全面的なご協力により次の写真のような美しいBösendorfer

を運び込んでの奉納演奏となった。

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これからも機会があれば、ほかでは考えられない面白い企画に挑戦してみたいと思うし、福田さんもご高齢にさしかかっておいでではあるけれども、お元気なうちは引き続き調律などお願いしたいと思っている。

 

ところで、この不思議なご縁の始まりとなった、僕の選定した楽器がその後どうなったか、最後に記しておこう。

東京の録音スタジオは、その最盛期とも言える、バブルの時代からその崩壊直後にかけては、相当な数に上っていたのだが、その後、インターネットが発達普及し始めたことや、コンピューターやスマートフォンの性能が爆発的に向上したことなどに伴って、音楽の作られ方も楽しみ方も劇的に変化し、そうした時代の流れには抗えずに、年々減少の一途をたどっている。実はConsipioも、比較的早い時期に閉鎖されてしまったのだ。

左の写真は左から、前出の田中信一さん、YMOで名高い高橋幸宏さん、

世界的なデザイナーである山本耀司さん、そして幸宏さんの兄上で

やはり音楽プロデューサーの高橋信之さんだが、この4人が設立した

アゲントコンシピオという会社がConsipioスタジオを経営していた

関係もあって、閉鎖後、件のBösndorferは耀司さんのご自宅に引き

取られた、と聞いている。仕事で会えなくなったのは残念だけれども、

おかしなところに売り飛ばされるよりは、楽器にとってはよほど幸せな

ことだ、とむしろ有り難く思う。

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この写真も、日本音響エンジニアリング (株) のHPに残っていたものを引用させていただいた。

なお、もう1台のSteinwayに関しては、今は残念ながら消息不明である。

 

Gala工房さんへの日頃の感謝と益々のご発展を祈って…

令和3年 (2021) 10月 倉田信雄

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