第6回 ベーゼンドルファーのおはなし

3月に入り、すっかり春らしくなってきましたね。家の前の公園では、いろいろな種類の桜が植えられており、ピンク色の花が3月上旬から4月中旬まで絶え間なく咲き乱れます。いい季節ですね。

~~~ ベーゼンドルファーのおはなし ~~~

(文:川口成彦)

(文:川口成彦)

 第6回 バックハウスとベーゼンドルファー 

 こんにちは。皆さまお元気ですか。わたしが住んでいるアムステルダムはなんだか3月になってからますます寒くなった気がしていますが、日本は少しずつ春めいてきましたでしょうか。季節の変わり目風邪ひきやすいですが皆さま素敵な3月を。

 さて昨年6月に静岡県掛川市にある茶の蔵かねもさんを訪れました。創業1872年のこの歴史あるお茶屋さん、掛川のお茶をゆっくり贅沢に味わえる空間で足を踏み入れた瞬間に好きになってしまったのですが、このお茶屋さんにはお茶以外にも心を鷲掴みにするものが待っています。それはなんと、ベーゼンドルファーのモデル290インペリアルです!しかもオーパス番号および製造年代が不詳の作品。前回のおはなしでも書きましたように、職人たちによって作られたベーゼンドルファーのピアノは昔から「作品」と捉えられており、一台一台に製造番号とはちょっとニュアンスの違うオーパス番号(opus)が付けられています。そしてそのオーパス番号が分かれば製造年代も分かるのですが、茶の蔵かねもにあるこちらのインペリアルはそれらが謎に包まれているのです。インペリアルの試作品か何かなのかもしれないですね。なんだか秘密を抱いているようなこちらの楽器ですが、20世紀の大ピアニスト、ヴィルヘルム・バックハウス (Wilhelm Backhaus 1884~1969)が使っていたピアノだと伝えられていまして、ますます好奇心を駆り立てられる楽器です。そして実際に弾いてみたのですが、その音も忘れがたいものでした。私はこの楽器を一目見たとき「なんだかカバやサイのようにどっしりとしているな」と思ったのですが、鍵盤に触れてみると「うわっ、なんだこれ」というように手にやさしい感触でした。そして音がまた素晴らしく、見た目を裏切るシルクのような繊細さでした。巨大な音が出るのかなと思いきや、その真逆。美しいピアニシモを出すように楽器から演奏者に語り掛けてくるような楽器だと感じました。このがっしりとした胴体ゆえの繊細さだったりするのでしょうか。その音の秘密を探りたくなる素晴らしいピアノです。

3月かねも1

3月かねも2

 バックハウスはドイツのライプツィヒ出身のピアニストで、オイゲン・ダルベール(Eugen d’Albert 1864~1932)に1897年から師事していたため、リストの孫弟子と言うことことになります。演奏家というのに系譜のようなものが存在するなれば、バックハウスはベートーヴェンやリストの伝統を引き継いだ20世紀のピアニストということになるでしょう。卓越した演奏技巧が華々かった若き頃の演奏スタイルゆえに「鍵盤の獅子王」という愛称でも親しまれています。1905年にはアントン・ルービンシュタイン国際コンクールでベラ・バルトークと競奏したというのも21世紀を生きる我々にとっては興奮するようなエピソードですね。このコンクールではバックハウスが優勝しています。また彼は1909年に世界で初めてピアノ協奏曲の録音をしたピアニストでもあります。作品グリーグのピアノ協奏曲の録音だったようです。世界中をコンサートピアニストとして沸かせていたバックハウスは、例えば1921年のブエノスアイレスでは3週間のうちに17個のコンサートを行ったほどに多忙な演奏活動だったようです。1930年にはスイスのルガーノに移住して、スイスの市民権を得ます(1946年にはスイスに帰化します)。また第二次世界大戦中はバックハウスに傾倒していたアドルフ・ヒトラーにナチスの宣伝として利用されたこともありました。まさに激動の時代を生きたピアニストですね、、、。

1907年のバックハウス

1907年のバックハウス

 バックハウスはベーゼンドルファーのピアノを非常に愛していたことでも知られています。旧西ドイツでの演奏会以外はベーゼンドルファーしか使わなかったとも言われています。またベーゼンドルファーでベートーヴェンのピアノソナタ全集をはじめ沢山の録音を残しています。1953年のベーゼンドルファー社創業125周年を記念したガラコンサートではクレメンス・クラウス指揮のウィーン・フィルと共演しており、さらに20世紀最大のピアニストの意味を持つ指環をベーゼンドルファー社より贈られます。なお1969年バックハウスの死後その指環は所有者がいない状態が続きましたが、1978年にパウル・バトゥラ=スコダ(Paul Badura-Skoda, 1927~)に贈られ現在の指環の所有者となっています。バックハウスからバトゥラ=スコダに引き継がれたこの指環の存在はなんだか尊いですね。うつろいゆく時代の中でもピアノの良き伝統が昔から今に続いていることを我々に思い出させてくれるような気がします。なんだかとても嬉しい気持ちになりますね。

 それでは今回の締めくくりにはバックハウスの演奏によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番の動画を貼らせていただきます。共演は「クナ様」の愛称でも知られるハンス・クナッパーツブッシュ(Hans Knappertsbusch, 1888~1965)指揮のウィーン・フィルです。それでは。