第5回 ベーゼンドルファーのおはなし

今年も、もう1ヶ月過ぎましたね。

去年の終わりからチェロをスタートした私は年頭に“今年こそちゃんと練習を続けよう”と誓ったのですが、・・・まだ、細々と続けていますっ!

皆さん、年頭の目標、どうなってますか???

~~~ベーゼンドルファーのおはなし~~~

(文:川口成彦)

(文:川口成彦)

第5回 職人たちが生み出すピアノってやっぱり嬉しいですね!!

   第1回でもお話ししたように、ベーゼンドルファーのピアノは1828年の創業の頃からの伝統を尊重しており、職人による丁寧な手作りのために年間300台しか製造されません。これは生産の活性化も重視して工業的なピアノ製造を行っているピアノメーカーと比べると圧倒的に少ない製造台数です。職人たちによって作られたベーゼンドルファーのピアノは昔から「作品」と捉えられており、一台一台に製造番号とはちょっとニュアンスの違うオーパス番号(opus)が付けられています。opusという言葉は音楽作品の番号においてお馴染みですので、この言葉を耳にするだけで音楽の薫りが漂ってくるようでとても素敵ですね。そして創業185年を迎えた2013年、ついに50000台目のピアノ「op. 50000」が作られました。こちらがそのピアノの製造を追った動画です。ベーゼンドルファーのピアノ製造における愛情が垣間見れてとても好きです。

 2008年1月、ベーゼンドルファーはヤマハの子会社となりました。この買収のニュースを耳にした時の「なんだって!?」という驚きを今も覚えています。もう大分昔の話だったんですね。あの時は私は高校生で何にも知らずにただただ「買収」という響きにマイナスなイメージしかなく、残念な気持ちになってました。ベーゼンドルファーのピアノがもう作られなくなるのだろうか、という無知ゆえの想像が頭を巡っていました。

 しかし今改めてこの件について考えてみると、ヤマハによるベーゼンドルファーの買収はポジティブな思考のもと「良いこと!」だったのかなと思っています。ベーゼンドルファー社は第二次世界大戦以降会社経営において好調ではなく、経営難に何度も悩まされていました。その経営難を反映している事象の一つとして、例えば昨年も賑わったショパン国際ピアノコンクールがあります。ベーゼンドルファーは1927年第1回開催時から公式ピアノでしたが、2005年開催時にはその経営難のためか使用されなくなっています。つまりスポンサーとして経済的にコンクールをバックアップ出来なくなってしまったということだったのでしょうか。ピアノというものはもはや地球規模で愛されているものですので、大変大きな産業の一つでしょう。ですから非常に商業主義的になってしまうことはもはや仕方ないですよね…。その「経営」という楽器の本質とは関係のない部分で非常に困っていたベーゼンドルファーが他社に買収されることもやむを得ないことだったのかもしれません。しかしヤマハはベーゼンドルファーの伝統的な楽器製造そして音を尊重しており、経営面のみのサポートを行うことにしているようです。ですからヤマハの傘下になってから製造されたベーゼンドルファーも、今までの楽器の個性そして魅力を失っていないのではないでしょうか。職人たちが生み出す音が今もなお聴けるというのはやっぱり嬉しいです!!非常に商業主義的な今日のピアノ業界、このベーゼンドルファーの出来事のように、「えっ!?」ということは今後も色々あるかもしれません。けれど楽器それ自体の本質を見つめて、友達と接するようにそれぞれの楽器と向き合っていければそれで良いのだと私は思います。

  2013年にスペインのコルドバを訪れた時、コルドバのオリーブの流通に関して色々考えている同世代の女の子に出会いました。 「コルドバのオリーブは本当に最高なのよ。だけどね、スペイン人って商売が上手くないのよね。知ってる?スペインのオリーブ、イタリアの会社に買い取られてイタリア製オリーブオイルとして売られているものが実は多いのよ。スペインのオリーブわたしは世界一素晴らしいと思ってるから、なんだか残念なのよ。」その女の子の話をなんだかふと思い出しました。ピアノに限らずどんな世界も商業的になるとなんだか色々複雑ですね。しかし、たとえイタリア製オリーブオイルとして売られていたとしてもスペインのオリーブは「スペインのオリーブ」なわけで、スペイン産オリーブが美味しいことには変わらない!。大切なのはその物を「美味しい!」と思える舌と心なのでしょうね。ベーゼンドルファーのはなしから逸れましたが、そんなことをしみじみと胸に感じています。

 

 さて、話は変わりまして皆さんピアニストのアレクサンドル・メルニコフが1875年製ベーゼンドルファーを用いたブラームス(1833~1897)の素晴らしい録音を残しているのをご存知でしょうか。独奏で「ピアノソナタ第1番&第2番」、「スケルツォ」、そしてイザベル・ファウスト(ヴァイオリン)と「ヴァイオリンソナタ全曲」、そしてそして同じくファウストとテューニス・ファン・デア・ツヴァルト(ホルン)と共に「ホルン三重奏曲」を録音しています。

 ブラームスもベーゼンドルファーのピアノと縁のあった作曲家の一人です。ルードヴィヒ・ベーゼンドルファー自身とも交流があり、ブラームスが52歳の夏にルードヴィヒに宛てた手紙の中では「ベーゼンドルファーはなんと素晴らしいのでしょう。それは鬱陶しい雨降りを、夏の晴天に変えてくれるのです」といったことを述べています。例えば1870年代中旬からウイーンで行われたブラームスのピアノの演奏会は常にベーゼンドルファーの楽器が使われていたようですし、1881年にブダペストで行われた「ピアノ協奏曲第2番」の初演で用いられたピアノはベーゼンドルファーでした。ブラームス自身が所有していた楽器はロベルト・シューマンの死んだ1856年にクララ・シューマンから譲り受けた1838年または1839年に作られたC. グラーフのピアノと、1872年にブラームスが新しい家に引っ越した際に製作者自身から贈られた1868年製のJ. B. シュトライヒャーのピアノでした。彼は現代的で革新的なベーゼンドルファーの楽器を演奏会でしばしば用いていましたが、自身が所有していた古いタイプの楽器の方にどちらかといえば親密性があったように思われます。しかしながら公的な場所ではベーゼンドルファーはじめベヒシュタインやスタンウェイなどの当時の最先端の楽器を積極的に用いており、それらの楽器のプロモーションに一役買ったようです。ブラームスがウィーンで行ったベーゼンドルファーを用いたピアノリサイタル、想像するだけでわくわくしますね。当時それを生で聴けた人々が本当に羨ましいです。

 

 J. ブラームス(1833~1897)

J. ブラームス(1833~1897)

 それでは今回の記事はメルニコフ、ファウスト、デア・ツヴァルトによるブラームスの「ホルン三重奏曲」で締めくくりたいと思います。1875年製のベーゼンドルファーの音色は本当に体にしみいります。美しいです。そして本当に素晴らしい名演です。メルニコフのその他のブラームスの録音もハルモニア・ムンディより出ていますのでご興味がありましたら是非聴いてみてください!!